たまに翻訳の仕事をお受けするのですが、頼まれる文献によって興味深い事がわかります。翻訳というのはただ言語を変換するだけでなく、読解力が試されます。医学文献などを頼まれると大変に苦しむのです。私なんぞ日本語でも医学用語がわからないからですね。

こういうことをしていると、私たちの子供にとって今後どういう能力が必要かと考えます。
私はアインシュタイン語録をながめるのが大好きなのですが、そのいくつかを紹介します。
・調べられるものを、いちいち覚えておく必要などない
・学校で学んだことを、すべてを忘却してもなお残っているもの。それが、教育である
・空想は、知識よりも重要である。知識には限界があるが、空想は世界すら包み込む
ある程度の知識は勿論必要ですが、今までの日本教育のように知識を詰め込む教育は廃れていくと思います。情報はとてもコンパクトになって身近に溢れていくのです。これからの人たちにつけたい能力は、情報を収集し精査し、分析する力ですね。読解力・応用力です。知識もあった方がいいのですが、知識は一生という長い年月かけて得ていけばいいと思います。
諸外国での試験では辞書やコンピューター、計算機の持ち込みを認める事も多くあります。まさに上記の事を試すテストなんですね。
私たちが子供に提供している英会講座も、今までの日本の英語教育とは全く違うものにしていきたい。各種検定というのは、他人からのひとつの評価への目印に過ぎません。実践的な能力とはまた別になります。各種検定はゴールではなくあくまで通過点に過ぎないと考えています。検定のために勉強をするくらいなら実践的な時間に費やした方がいいというのが私たちの考えです。知識の詰め込みではなく発展していく英語講座にしたいのです。
創造力がどうやって育つか、それは遊ぶしかないでしょう。大人は良質な遊びの場を提供すべきです。子供の発見や発想の転換につながるような環境を。それにはあれこれ考えて出来過ぎた物を与えるより、シンプルなものがいいのかもしれませんが。
自分は翻訳が苦手なので、食べると難しい外国語の文献をも翻訳出来るようになる蒟蒻を造り出す。それも発想の転換です。オールマイティになるなんて不可能だし、その必要はないと思います。努力しても足りなければ他で補えば良い。翻訳蒟蒻、そんな笑ってしまうようなことが実際に起こることだってあり得ます。アインシュタインの相対性理論だって最初はみんなに笑われたのです。子供の発想に耳を傾け、発展につなげてやれる大人になりたいなぁと思います。