今日は、古くからの友人えいち(仮名)のお宅へ遊びに行って参りました。彼女のうちへ行くのは彼女の誕生日付近と命日付近です。女友達4人とその子ども達を連れて行きます。
えいち亡き自宅へ行くのは、お線香をあげるということと彼女のお母様に会いに行くのが目的です。家に着けば、「おばさん、勝手にやらせてもらうね。」とキッチンにどかどかと入って行き本当に勝手にお茶を入れさせてもらって食事を一緒にし、ガールズトークに花を咲かさせます。
何故こんなに図々しいかというと、自分たちでやった方が早いし、お互いに楽だからです。おばさんは先天的に弱視で、えいちを産んで間もなく視力を完全に失ったそうです。高校の同級生である友人たちの中で知っていたのは私ともう一人だけ、おばさんから聞きました。えいちとはおばさんのハンディキャップの話をしたことはありませんでした。「いつかそういう気持ちになったら自分から話すかな?」と私から話を出す事もなく、彼女はお墓まで秘密を持って行ってしまいました。
きっと多感な思春期真っ只中、友人らに母親のハンディについて話したくなかった、その内話す機会を失ったのだろうと思います。お泊まりにも何回か行っているんですがね、必死に隠していたのでしょう。
私たちとおばさんの間には長い間大きな隔たりがありました。その隔たりを彷徨っていたのはえいちのみ。えいちはどんな気持ちだったのでしょう?そして彼女が亡くなって4年、その隔たりはなくなってきたように思います。
おばさんは、ある日ピンクの小さな鶴の折り紙を見せてくれました。「鶴を折るのは難しい。」というのです。その日は「だよねー。」と、それで終わったのですが、何度が訪問するうちにおばさんが、不意に亡くなった娘のために千羽鶴を折りたいのだということがわかりました。手先の感覚だけで鶴を千羽も折るなんて。。すでに折った鶴も裏返しに折っていたり出来は勿論良いとはいえません。残りは友人達みんなで手分けをして折る事にしました。集まる時に一緒に折ったり、家族にも手伝ってもらったりそれぞれ数百ずつ折って千羽鶴を仕上げました。想像力の足りなかった私たちはすぐに気付いてあげられませんでしたが、おばさんはとても喜んでくれました。
年に2回伺ううちに、目の見えない世界について少しだけ想像できるようになってきました。普段開け放しにしてある戸を閉めてしまうとおばさんはぶつ
かってしまいます。物が転がっていたりしてもつまづいてしまいます。携帯電話が鳴ってもすぐに見つけられないので探して来てあげます。物について話をするときも手をとり触らせてあげます。黙って動かないで、実況中継してあげるとこちらの様子をわかってもらえます。
最近は小さなお手伝いも頼まれる事もあります。送付状を書いたり、調べ物をしたり。
えいちがお墓まで持って行った触れられたくなかった秘密を残された私たちは共有しながら過ごしています。そしてえいちは今どこにいるのか私たちにはわかりませんが、「もう、やめてよーぅ。」などと言いながら喜んでくれているんじゃないかと思います。
夫のジェシーは外国人なので言葉や異文化というハンディがあるのでサポートが必要な部分もありますが、私は大きなハンディキャップのある人の近くにいたことがあまりありません。勿論見かける事等はありますが、身近に同じ時間を過ごしたような記憶がないのです。だからそういう人が近くに来るととっても緊張し
て、話しかけた方がいいのか?気を悪くしないだろうか?とかとってもいろいろ考えてぎこちなくなってしまいます。「どうしようか?」とテンパっている間に相手は行ってしまいますね。
もっと障がい者が外に出られて、困る事があれば人々が自然に手を差し伸べることが出来る、隔たりのない世界になったらいいなぁと思うんですよね。Imagine all the people〜それは、夢なのか?
ハンディキャップのある人と接し、その困難を想像するということは慣れなんじゃないかと思うんです。有資格者しか触れてはいけないかっていったらそうではないと思うんです。そうするためには、やっぱり障がいのある人に接するチャンスがたくさんあると想像力がつくなかと思います。このワークショップ内でもその垣根を少しでも低くするべくいろいろな人々が集まれる時間があればいいのにと思います。といっても資格はおろか経験も足りない私たちですがね。
今日は独り言のような内容になってしまいましたー。すみません。
読んでくださりありがとうございました。 小依
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